浅見真州の会『巴』『実盛』

第28回 浅見真州の会

日時 2012年4月27日17時開演

於  国立能楽堂

能  『』   小早川泰輝
狂言 『寝音曲』 山本 則重
能  『實盛』  浅見 真州


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浅見真州の会事務局

TEL 070-2262-0392、FAX 048-420-9600

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能 『巴』ともえ

作者:不詳

場所:近江国 粟津ヶ原(現在の滋賀県大津市、琵琶湖のほとり)

季節:初春

分類:二番目物 女武者物


登場人物

前シテ:里の女

後シテ:巴御前の霊

ワキ:旅の僧

ワキツレ:旅の僧(今回は登場せず)

間狂言:所の者


本作は、源平合戦で亡くなった木曽義仲の最期をめぐる物語である。女武者・巴の勇ましい戦いぶりと、一途に義仲を慕い続ける苦悩が描かれる。

木曾の僧が都に上る途中、粟津ヶ原を訪れると、松陰に祀られた神の前で涙を流す女と出会う。不審に思った僧が女に尋ねると、ここに祀られているのは木曽義仲であると教え、自分はある者の幽霊であると明かし姿を消す。

僧は通りかかった里の男から義仲と巴の物語を聞き、女の霊が巴であるとの思いを強くする。男は僧に、女の弔いを勧めるのだった。

夜になり、僧が亡者の霊を弔っていると、鎧兜を身に纏い、長刀を手にした女武者、巴御前の霊が現れ、在りし日の合戦のさまを語り出す。義仲が自害するに至った経緯、女の身ゆえ、義仲に最期の供を許されなかったことへの執心を述べる。義仲への最後の奉公として戦った粟津ヶ原での合戦の様子を再現して見せて、一人生き残ってしまったわが身の妄執の因縁を明かし、執心からの解放を僧に願い消え失せる。

詳しい解説・舞台進行はこちら↓をご覧ください。


『巴』は二番目物・修羅物と呼ばれるジャンルのうち、女性が主人公の唯一の曲です。

前場は唐織姿、後場は大口壺折姿(解説最後部写真参照)で、長刀を扱いますが、動き自体は多くはなく、また前場・後場ともにシテ謡も少なく、大部分を地謡が占めます。

特に後場のシテ・ワキの問答の後の地謡が始まると、終わるまで地謡は謡いっぱなしという、地謡泣かせの曲とも言えるでしょう。

他の演目を見ても、ここまで地謡の分量(文章量)が多い曲は珍しいかもしれません。

さらりと謡われるので、時間にすると長いわけではないんですけどね。


かれこれ10年近くたつでしょうか、師匠である浅見真州先生の『巴』を拝見したことがありました。たしか銕仙会例会でした。

舞台上の師匠は綺麗な女性でありながら、長刀の扱いがキラッキラッととても鋭く、かっこいいなぁと思いながら拝見していた記憶があります。

その後お稽古でその長刀扱いを意識しながらやってみたところ、若いうちはそんな小手先でやっちゃだめだとご注意を受けました。


巴という人は、武芸に優れ敵と組んで素手で首をねじ切ってしまう。しかも色が白く、男の心を引き付けるという大変魅力的な女性像に描かれています。

難しいです(笑)


長刀を持って舞う部分以外は動きが少なく、特に後半は舞台正面に向いて座り、その場でしばらく留まったままです。

実際舞台上には何もありませんが、義仲がそこにいるという設定です。

ご覧いただく方には、そこにいる義仲像を思い浮かべながらご覧いただけたら幸いです。


義仲像についてですが、本作では義仲は、後の世に最後まで女と一緒であったと言われたくないから、巴に逃れ小袖を木曽へ届けよ、と女を逃がしておいて自分は自害をするという極めて凛々しい男として描かれています。

一方「平家物語」や別の曲『兼平』では、兼平から主君が敵に討たれては後の世までの恥と、防戦している間に自害するように言われながら、死ぬのは一緒と言ったり、最後は馬が薄氷の張った深田に足を踏み込んで動けなくなり、それでも兼平のことが気にかかり、振り返ったところで敵の矢に内兜を射られてしまいます。自害ではなく、どちらかというとあまり格好良くない哀れな、むしろ屈辱的な死に方で描かれています。


本作は動きが少ない分、地謡がとても重要な役割を担います。

能の地謡、特にそのリーダーである地頭(じがしら)は一曲を作り上げるとても重要な役割で、通常はベテランの方が地頭をなさいます。

今回その超重要な地頭を、期待の若手能楽師・武田祥照(たけだ よしてる)さんにお願いしました。これからの時代を担っていく筆頭の方です。まだ30代前半(半ば?)の先輩で、常日頃からとても頼りにさせていただいている方です。

本来であれば第28回浅見真州の会は昨年11月11日に催される筈でしたが、コロナの影響により今年四月に延期になりました。

実は昨年12月、「朋之会」でも『巴』が上演されました。その際も武田祥照さんが地頭を勤められ、私も一緒に地謡に座っておりました。

それから4か月、再び『巴』の地頭を勤められるということで、その時から更に洗練された仕上がりになっていることかと思います。

本作は割と若いうちにさせていただくことが多いのですが、長刀の所作だけではなく、むしろその後の動かない部分を素敵に出来たらなと思ってます。




能『実盛』さねもり

作者:世阿弥

場所:加賀国 篠原(かがのくに しのはら)(現在の石川県)

季節:仲冬

分類:二番目物 老武者物

登場人物

前シテ:篠原の里の老人

後シテ:斎藤別当実盛の霊

ワキ:遊行上人

ワキツレ:従僧(二人)

間狂言:篠原の里の男

概要

平家の武将斎藤実盛の最後を題材とした世阿弥の作。「朝長」「頼政」と共に三修羅のひとつで難曲とされている。加賀の国の出身斎藤実盛は、後に武蔵国に移り、源義賢・源義朝に仕える。義賢が義朝に討たれた折、義賢の遺児駒王丸(後の木曽義仲)を預かり信濃国に逃したという。義朝滅亡後は平氏に仕え加賀篠原の戦いで討死する。享年73歳。石川県の多太神社には木曽義仲が実盛供養の願状を添えて奉納したという実盛の兜(国指定重要文化財)が伝わる。

 遊行上人が加賀篠原で説法を行っているところに、毎日欠かさず聴聞に訪れる老人がいる。上人は老人の姿が他の人達には見えず、上人と話す声も聞こえない事に気づいて、名前を尋ねると、篠原の合戦で討たれた実盛の首が、目の前の池で洗われた事を話し、自分が実盛の亡霊である事を告げて姿を消す。(中入)

上人が池の畔で実盛の為、供養の念仏を唱えていると、白髪の老武者姿の実盛が現れる。老武者は、上人の念仏に感謝し、首実検の際、首を洗うと鬢髭を黒く染めた墨が流れ白髪が露わになった事、老いの我が身にとって最後の戦と、平宗盛から賜った錦の直垂を身に纏い、故郷加賀へ馳せ参じた事、木曽義仲との戦を望みながら手塚太郎に阻まれ枯木のごとく力尽き、首を討たれた事を語り、尚も弔いを頼んで消えていく。

詳しい解説・舞台進行はこちら↓をご覧ください。


実盛について

越前国に生まれ、武蔵国長井荘を本拠地とする。関東で源義朝と義賢の兄弟対立が激化、当時の実盛の主君義賢は、義朝の子・義平の奇襲にて討たれる。戦後、義朝方に転じた実盛の許に、義賢の子・駒王丸が身を寄せる。義朝の殺害命令から保護する為、実盛は元主君の恩に報うべく密かに木曽の武将中原兼遠(樋口次郎兼光の父)へ送り届けた。この駒王丸こそ後の木曽義仲である。

平治の乱で義朝が敗死した後、長井荘に帰ると、その頃長井を治めていた平宗盛にこれまでの功績が認められ、「別当」として平家に迎えられる。それからは平家に忠義を尽くすこととなる。(別当とは、他に本職があり兼ねてにその任にたる、の意味で、最初は兼務の長官を意味しましたが、後に専任の長官の名称となりました。)

平清盛死後、平家打倒の為最も早く挙兵した源氏の武将、木曽義仲。迎え討つべく平維盛率いる十万の平家軍は北陸へ進軍。数では圧倒していたが、義仲の奇襲により平家軍は断崖の下へ放り出され、壊滅状態。維盛は命からがら逃げ延びる。

その後行われた篠原の戦いより義仲軍の武将・手塚太郎光盛が、義仲の元へ一人の武将の首を持ち帰る。「奇妙な者を討ち取ってございます。大将かと見れば続く軍勢もなく、侍かと思えば錦の直垂(大将軍の扮装)を着け、決して名を明かさない、坂東聲(関東訛り)のものでございました。」義仲はもしや実盛ではと思ったが、黒い髪と髭を不審に思い、実盛をよく知る樋口次郎兼光に見せた。すると兼光は唯一目見て、「確かに実盛でございます。」と涙を流した。「実盛は、老いぼれと侮られるのは口惜しい。白髪を墨で染め、若々しく討死にしたいものだと、常々申しておりました 。」兼光の進言により首を洗うとたちまち白髪があらわになった。命の恩人の死を知った義仲は人目を憚らず泣き崩れた。

実盛はこの戦いで討死する覚悟を決め、せめて老後の思い出に、生まれ故郷への出陣には錦の直垂を賜りたいと主人の宗盛へ願い出、赤地の錦を身に纏い、髪や髭を黒く染め、若々しく戦へと出陣したのだった。

能「実盛」はこれから二百年余りの時が流れた篠原を舞台に描かれます。

篠原の里にて説法を行っていた遊行上人の前に現れる信仰深い老人。その姿は上人以外の者には見えていないという。不審に思い、名乗れと言うと「老いの苦の中、弥陀の本願にやっと出逢えて喜んでいたところに、この迷い多き娑婆の名を言えと仰るとは余りに口惜しい」と言う。懺悔の為に名を名乗れと諭すと、老人は周りの群衆を退けさせ、この篠原の地で討たれた平家の侍「斎藤別当実盛」のことを語り始める。「その実盛の首は目の前の池で洗われ、今もその執心が残って幻の様に現れるのです。」老人は、自分こそ実盛の幽霊だと明かし、池のほとりで消え失せてしまった。

首を洗ったとされる池のほとりで実盛の霊を弔うと、月明かりに照らされた水面に実盛の霊が姿を現す。修羅の苦患から救ってくれと未だに忘れぬ己の最期を語る。髪を黒く染めて出陣したこと、錦の直垂を平宗盛から賜ったこと、手塚太郎と死闘の末に討ち取られ、この篠原の土となったことを語ると、後世の弔いを頼みつつ、実盛の幽霊は消えていったのだった。

老木に花の咲かんが如し、散るその時までも誇りを捨てず、不屈の精神を貫き通した一人の武将の物語。


プライドをかけて戦った老武者・實盛。

今年傘寿(80歳)を迎えられる師匠にぴったりな曲だな~と勝手に思っております。

私も地謡に入らせていただきます。とても楽しみです。


通常の催しでは同じジャンルの曲が被ることはまずありません。

しかし今回の催しでは敢えてどちらも二番目物という珍しい構成になっております。

師匠と曲選びをした際に、「義仲」が共通しているし、面白いかも、ということで選曲されました。


4月27日(火)17時開演、会場は日本一大きい能楽堂・国立能楽堂です。

平日ですがたくさんのご来場をお待ち申し上げております。


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